大分家庭裁判所 昭和42年(少)88号 決定 1967年2月10日
少年 D・U(昭二八・五・二生)
主文
本件を大分県中央児童相談所長に送致する。
少年に対し強制的措置をとることを許可しない。
理由
本件申請の要旨は、「少年は、昭和四〇年一月二六日、触法行為(窃盗)により、大分家庭裁判所において教護院送致の決定を受け、大分県立二豊学園に収容されたが、保護者(母)の強い要望があつたため、小学校の課程を終了した昭和四一年三月二〇日これを解除し、在宅で少年を指導中、昭和四二年一月○○日、少年は別紙触法事実八(強盗未遂)の行為により保護されるに至り、他に別紙触法事実一乃至七記載の非行があることが判明したところ、今後保護者に監護させるのは不適当であるばかりでなく、少年の従前の非行歴、教護院生活の経験並びに本件各触法行為の内容、罪質からみて、この際少年の指導監護の目的を達成するためには、少年の義務教育が終了する昭和四四年三月三一日まで、強制収容力を持つた施設である国立教護院において指導する必要があるので、児童福祉法二七条の二、少年法六条三項により少年に対し強制措置を求める。」というにある。
そうして、本件記録及び少年の当審判廷における供述によれば、別紙記載の各触法事実を認めることができるのであり、以上はいずれも少年法三条一項二号に該当する。
そこで、本件記録および大分県中央児童相談所の児童記録票、鑑別結果通知書並びに調査、審判の結果によれば、少年は、二歳のとき父の事故死によつて、貧困な家庭(姉、兄各一人)の中で、母の手一つで育てられたため、道徳感が低く、非行は小学校の低学年ごろからあらわれ、また非行に対する内省にも欠け、少年が一一歳であつた昭和三九年一二月の非行(窃盗)により、昭和四〇年一月、大分家庭裁判所において、教護院送致の決定を受け、大分県立二豊学園に収容されたが、小学校の過程を終えるにあたつて、母の強い要望により、昭和四一年三月、前記の入園措置が解除されて、母が少年を自宅に引き取り、同年四月から大分市立○○中学一年生に入学したものであるが、本件の各非行はその後の昭和四一年九月から同四二年一月(中学一年生の三学期)までの間になされたのであつて、特に別紙番号六、七、八の触法事実については内容、方法とも極めて悪質というべく、かつ初発非行等からみても、少年の非行性は深化しているものと認められる。
そうして、少年は性格的に不安定で、付和雷同的な考え方や行動をなし、自己の信念というものを持たず、他人との協調や自己統制に欠け、ひとりよがりのわがままな面がみられ、かつ情緒の未成熟、衝動性など著しい偏倚的な傾向を示し、加えるに自己の知的能力(IQ七六、限界域)身体(斜頸、難聴)、家庭(父死亡生活扶助家庭)等に対する劣等感が強く、盲愛的な家庭(母)に逃避し、基礎的な生活習慣が身についていないなど、これを矯正ないし調整するには楽観できない問題点が形成されている。
ところが、一方、少年は前記中学校において第一、二学期をあわせて、出席しなければならない全日数が一七九日であるのに、欠席したのはわずか七日であり、しかも腹痛で二日、足の負傷で三日を休み、怠学したのは二日しかなく、少年の通学には特段の問題が認められず、また、校内における非行は現在まで一度もみられず、虞犯傾向(喫煙、不良交友等)もなかつたこと、かえつて先生(担任)の行動観察によれば、少年には勉強しようとする意欲がなく、その向上を期待できないが(成績は最下位)、学習中他人に迷惑をかけるような言動はなく、与えられた作業(掃除)等は責任をもつてこれにあたるほか、先生に対し何かと相談をもちかけ或いは一、二の親しい友人を持つことができるようになつて、人間的な面における向上は今後期待がもてるなど、中学校において入学後から第二学期にかけて漸次適応してきたことが認められる。しかるに、少年が本件各非行に出たことは担任として信じられないともらしているほどであり、かつ少年は家庭においても無断外出をすることなく、とりたてての趣味もないが、自宅でテレビを見たり、漫画の本を読むことぐらいで、母の言いつけを守り、反抗的態度に出ることもなく、本件の別紙番号八の触法行為は母の言いつけで病院へ薬を取りに出かけた途中のことであつたことが認められる。
そこで考えてみるのに、もともと少年法六条三項による強制措置は、少年に逃走癖、放浪癖等があるため、児童福祉施設においては少年に対する本来の教護の目的を達しえられないような場合に、例外的に許されるべきものであるところ、以上の各事実からすれば、本少年を指導、監護するために強制措置の必要性を肯定することができない。
ただ一件記録によれば、かつて少年は二豊学園(教護院)に収容された当初、家に帰りたいと言つて、同園になじまなかつたことや、一年余りの間に二度ばかりの無断外出があつたこと、および園内において、再三喧嘩や他の非行(持物の窃取)がうかがわれるのであるが、これをもつてしても前記のごとき強制措置を必要とするにはなお不充分であり、かつ本件各証拠によれば、かつて母親は二豊学園へ一過間に一度、少いときでも一〇日に一度は少年に面会に行き、その甘えから少年の独立心等が養われ難かつたことおよび入園措置の前記解除に際し、学園側としては時期尚早と考えていたのに、母親がこの説得に応じないので、止むを得ず退園に踏み切り、在宅指導に変更したものであつて、大分県中央児童相談所が指摘するように、少年の教護について母の理解、協力を得られないおそれがあるので、従来のとおり二豊学園に収容するのみでは、教護の目的を達しえられないのではないかの懸念があるが、調査、審判の結果によれば、母の気持は当時と異り、前記のとおり少年が次第に学校に適応できるようになつたのも、学校に対する母の協力(連絡)によるものであり、当審判廷において母親自身盲目的愛情のみでは、かかる事態に陥つた少年を立派に育てえないものと自覚し、大分県内の児童福祉施設に収容されることになつても、その指導に任かせ、頻繁に面会に出かけることも避けたいとの態度が認められる。ところで、かりに本件の強制措置を許可するとすれば、少年を母の許から遠く離れた国立武蔵野学院に収容することになり、これでは少年を手離し得ないとする母の心境から堪えがたいことであり、母の前記のような理解、協力が認められるに至つた現段階において、かかる措置に出ることもまた妥当な方法といえない。
以上を総合して、本少年に対し強制措置をとることを許可しないこととするが、少年の資質、家庭環境並びに本件各非行の内容等をあわせ考えるならば、少年に対しなお児童福祉法に基く行政的措置を施す必要があるものと考える。
よつて、少年法一八条一項により主文のとおり決定する。
(裁判官 野口頼夫)
別紙 触法事実
少年は、満一四蔵に満たないものであるが、
一、昭和四一年九月ごろの午後六時ごろ、大分市○○○××組○○○美容院の炊事場において、長○カ○子所有の現金四六〇円を窃取した。
二、同年一〇月○日午後二時ごろ、同市大字○○××××番地の○大分○○○○○寮において、○村○子外二名所有の現金合計五、二〇〇円および財布一個(時価一五〇円位)を窃取した。
三、同年一一月○○日午後一〇時ごろ、同市△△△×丁目○○組合付近路上において、通行中の○許○代(当二六年)に対し「金を出せ」と脅迫し、もしこの要求に応じないときはいかなる危害を加えるかもしれない態度を示したが、同女に逃げられたため、金員喝取の目的を遂げることができなかつた。
四、同年一二月○日午後六時三〇分ごろ、同市×××△△鋳造東側路上において、江○録(当一六年)の背後からいきなり首を締めつけるなどして、同女から金員を喝取しようとしたが、同女が助けを求めて騒いだため、その目的を遂げることができなかつた。
五、同年同月○○日午後三時ごろ、大分市○町○○組日○子○子方において、同女所有の現金二、六〇〇円およびハンドバック一個、がま口一個、定期券一枚(時価合計三〇〇円位)を窃取した。
六、同日午後四時過ぎごろ、大分市△町○丁目○番○号○水○○子方(当三二年)において、自ら覆面をなし、同女に対し所携のドライバーを突きつけて「金を出せ」と脅迫し、金員を強取しようとしたが、同女に騒わがれ、逃走したため、その目的を遂げることができなかつた。
七、昭和四二年一月○○日午後七時ごろ、同市×××○○組○○湯倉庫前路上において、○水○子(当一九年)に対しいきなり背後から両手で首を締め「四〇〇円出せ」と脅迫し、その反抗を抑圧したうえ、同女から現金五〇円を強取した。
八、同年同月△△日午後五時ごろ、同市△町×丁目○番○○号○谷○一方において、同人の長女○代(当二〇年)に対し自ら覆面をなし出刄庖丁を突きつけ「金を出せ」と申し向け、その反抗を抑圧したうえ、金員を強取しようとしたが、同女の母が駈けつけて逃走したためその目的を遂げることができなかつたものであり、もつて刑罰法令に触れる行為をしたものである。